私たちが当事者になるとき~臨床倫理学会に参加して~

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私たちが当事者になるとき~臨床倫理学会に参加して~

こんにちは、言語聴覚士(ST)の加藤です。3月21 ~22日、今年も御茶ノ水の順天堂大学で開催された日本臨床倫理学会に行ってきました。

 

医療・ケアの現場でのジレンマを乗り越えるためのヒントをくれるこの学会。リハビリ職の参加はまだまだ少ないのですが、最近は在宅医療・ケアの分野のワークショップやシンポジウムが増えており、2023年からは当事業所代表の宮川(理学療法士)も一緒に参加しています。

 

今年も、「地域における臨床倫理」のワークショップ、模擬カンファレンスなど、小グループで話し合う参加型のプログラムが多くて多いに刺激を受けました。
でも、敢えて今年一番印象に残ったものを一つ挙げるとしたら、豊田地域医療センターの心理士・野口優子氏が、高齢の父親の治療方針を決めるにあたって当事者家族になったことを振り返る一般演題でした。

 

「80代の父親が誤嚥性肺炎で入院して食べられない状態になり、主治医から『末梢点滴をいつまで続けますか?』と聞かれた時、意識障害もなく、高次脳機能障害はあっても理解力は保持している父親に対して直接意思を確認することは全く頭に浮かばず、一旦は点滴中止を決断した。しかし、「自分が点滴中止を決める=父親の命の時間を決める」という罪悪感から、入所していた施設のスタッフに確認し、『長生きするため治療をしたい』との情報を得て点滴を継続した」

 

発表者のご主人は今回の学会の学会長を務める医師であり、自らも心理士として、患者さんと医療者の共同意思決定「Shared Decision Making」という概念を十分理解し、患者と医療者が治療方針を共に考えるプロセスを実践する立場の方でさえ、自分が当事者になった時、「患者さんを真ん中にして治療方針を決める」ということを一瞬忘れ去ってしまうという現実に、会場全体に静かな衝撃が広がりました。

しかし、そこで終わらずに、後日自らの行動や心理的背景を振り返り、学会という場で共有する誠実な姿勢に感銘を受けた人も多かったと思います。

 

考察では、

・高齢で弱った親を「庇護する対象」と捉え、「本人に尋ねるのは可哀想」と思うことで当事者の意向を問う機会を奪ってしまった

・「親をのことを家族が決めるのは当然」といった暗黙の前提がまだ根強く、結果として家族による代理意思決定が優先されがちになる

という問題点が浮き彫りになりました。そういえば、今年1月に開催した講演会でも、金城隆展先生が、家族に「持ち帰って決めてきてください」と言うのではなく、本人に「どうしたいですか」と尋ねることの大切さを説いていらっしゃいましたね。

 

私たち介護・医療従事者も、利用者さんの人生のものがたりを支える存在であると同時に、自分自身や家族のものがたりを生きている存在でもあります。当事者になった時に冷静な判断ができるか自信がない…と感じる介護・医療従事者の方も少なくないと思います。私もそうです。だからこそ、野口氏が、発表の最後に言っていた「医療者も家族として揺れ動いていいのだと自分自身を許すことが大切」というメッセージを忘れずにいたいですね。そして、当事者として揺れ動いた経験が、さらに現場での「本人を中心にして皆で支える」意思決定支援に繋がっていくのだと思います。